福沢諭吉の初めての英語の教師は、森山多吉郎という人でした。
森山の英語の力を知る上の文献を2つばかり引用しておきましょう。
「箕作麟祥君伝」に福地源一郎氏談として載せてある記事が、文久3年頃の英文翻訳の消息を伝えているから引用して参考に供します。
「私が使節竹内下野守、松平石見守に附いて出かけて行った。
秋坪さんも福沢も一緒だった。
帰ったのが文久3年の春さ。
そうすると、その時麟祥さんは外国方の御用掛になって、翻訳のために出ていた。
それから秋坪さんも、翻訳を私と一緒にやっていた。
その時、僕がニ十三だから、麟祥さんは十八かね。
ところが、麟祥さんはその時分英文の翻訳をしたが、そんなに巧者では無かったが、誰に教わったのか、森山にも中浜にも、翻訳は教わりはすまいし、また誰に教わるといっても、その時分ろくな師匠はない。
森山といえども、中浜といえども、今の中学校の生徒ほどの事は怪しいものさ。
誰に教わったか知らぬが、私はニ十三で帰ったときに、ともかくも、英文の手紙を翻訳をして1巧くはないようだったね。
僕といえども、天狗ではあったが、怪しいものだ。
怪しくっても、やっていた。
僕がやる、福沢がやる、麟祥さんがやる。
あとは蘭書しか読めなかった。
その時福沢は幾つだったか、私より七つか上だった・・・。
当時は石川遼 英会話のようなものもなかったので、英語の勉強は相当な努力を要するものだったのです。