日本の皇室の正装用のジュエリーは、この頃にグランド・メゾンに作らせたものでした。
かくして王侯貴族を追放したはずのフランスが、王侯貴族たちが使うジュエリーの製作をほぼ一手に引き受けるという奇妙な時代が続きます。
それはまたグランド・メゾンのメンバーにとっても、最も華やかで一番儲かる黄金の日々でした。
そうした繁栄も第一次大戦とともに消えてゆき、グランド・メゾンと呼ばれた多くの宝石店にとっても、創業者一族の追放や破産という苦難の日々を迎えることとなります。
貴族を中心とする社会最後の繁栄、そしてそうした人々がファッション・リーダーであった最後の社会、それがベル・エポックであり、グランド・メゾンの時代です。
第一次大戦が終わるまでは、欧州には王侯貴族は嫌になるくらいたくさんいたし、彼らの多くは麗しの女性とお買い物の天国であるパリへと殺到したのです。
その他にもこの頃になると、アメリカの大富豪たちやその家族がパリへとやって来きます。
彼らの富裕ぶりはけた外れであり、大富豪たちの娘が欧州の貴族と莫大な持参金と共に結婚するのもこの時代です。
もちろん日本の華族たちもこうしたグランド・メゾンの顧客リストに載っています。
1800年以前に創業していたメレリオ・ディ・メレー社やショーメ社はこの頃に一段と業容を拡大し、新たにブシュロン社、それにカルティエ社が参加してきます。
1906年にはヴァンクリーフ&アーペル社が創業し、グランド・メゾンの大所は出揃うことになります。
1870年代から20世紀になるまでのベル・エポックと呼ばれるこの時代に、こうしたグランド・メゾンが作り売ったジュエリーには、際立った特徴がありました。
それは前述のデザイナー・ブティックが新奇なデザインや作りを追求したのに比べて、正々堂々とした大振りなジュエリーが中心ということです。
プラチナにダイヤモンド、それに大粒の真珠を素材とするジュエリーがそれでした。
こうしたものは、もちろんフランスの新興階級も顧客であったが、同時に、海外からの旅行者あるいはフランスに第二の住まいを構える外国の貴族や富裕層たちにとって、パリで買うべきものの筆・頭として、新しい市場を獲得していきました。
デザイナー・ブティック風の店舗とは別に、王制の圧力のとれた新興階級を顧客とする近代的な大宝石店も平行して登場します。
グランド・メゾンと呼ばれる店がそれで、今でもヴァンドーム・サンク判などという名前で別格扱いされる場合がある。
その多くは今日まで続いているものの、その後経営難に見舞われて内容が変わった店も多いが、そのほとんどはこの時代に創業するか大きくなったものです。
消費の形態も変わりました。
1852年には最初の百貨店ボンマルシェが開業し、1870年代にはデュファイエルの手で分割払いの制度が生まれます。
今の消費に近い、大衆による自己顕示のための消費が始まったのは、この時代のフランスでした。